2004年 11月 29日
消防士 |
先日、火事がありました。
現場は、僕が設計をさせてもらい最近住み始めたばかりの住宅の、空き地を挟んだスグ横の、恐らく戦前の建物でしょう。そして昭和25年制定の建築基準法以前の建物であり、既存不適格建築物となります。現場は、商業地域の準防火地域でした。
推測するに、日本中に、とくに戦災を免れた古い町には、いまだにそういった住宅がゴマンとあるでしょう。(五万どころではないと思いますが…)
日本は、伝統的に木造建築物の文化です。その文化を継承しながら、火事にも(当然、地震にも)強い住宅になるように、法律も技術も進化しています。(中にはイワユル「愚法」もありますが…)が、進化しすぎたのか、法律をそのまま解釈すると日本の伝統とはほど遠い様相の住宅になってしまうことがほとんどです。囲炉裏のある茅葺屋根の家なんて、(諸事情により)もう無理、不可能なんですよ。
その火事の現場で、偶然、友人の消防士を見つけました。消防用ハシゴのてっぺんの、今まさに家屋内に突入しようとしている一番先頭の男です。先日の「土間のある家」のオーナーさんではなく別の消防士ですが、彼もまたハーレーの馬主さんであります。ちなみに彼は2頭(2台)も飼って(駆って)います。
この画像からは解かりませんが、家屋内ではまだ火がくすぶっています。破風やら開口部から、時折火が見えています。屋根も焼け落ち、設計士の僕から見ていつ瓦解してもおかしくない状況です。違う角度から見るとその状況は解かると思いますが、非常に危険な状況です。彼はそこに突入しようとしているのです。
彼には長年待ち望んだ第一子が、今年の9月1日に誕生しています。息子の誕生日が「防災の日」というのが実に彼らしいのですが、使命感に燃えた彼にはそのことも頭の中にはないのでしょう。他の隊員に叱られながら、それでも前へと進もうとしています。
建物は全焼してしまいましたが、不幸中の幸いで住人の方にも、消防士にも、近隣にも大きな負傷者はなく、騒然とした中で消火活動が続けられました。
火事は起こしてはいけません。
しかし、そこの住人の方も故意ではないはず。事故なのです。
失火、延焼。消火をあきらめ避難する住人、助け出す近所の方々、そして使命感だけで危険と立ち向かう消防士、友人・知人であるなしに関わらず、全ての人に同様に守るべき家族があり、多くの人のつながりや助け合いで守られている現実。みんなが無事で、本当に良かったです。
最後まで現場に居ることはしませんでしたが、家屋内の住人の不在を確認した彼がでてきた時に僕を見つけ、まるで本屋かなんかで偶然会った時みたいな口調で、「おう、どした?」だって。無事だったから良かったものの…。
伝統文化(木造建築物)の継承と安全の共存、言うまでもなく「全ては安全側」ですが、このコトをもっと深く考え直すいい機会になりました。
そして、彼に一杯おごってやりたくなりました。
現場は、僕が設計をさせてもらい最近住み始めたばかりの住宅の、空き地を挟んだスグ横の、恐らく戦前の建物でしょう。そして昭和25年制定の建築基準法以前の建物であり、既存不適格建築物となります。現場は、商業地域の準防火地域でした。
推測するに、日本中に、とくに戦災を免れた古い町には、いまだにそういった住宅がゴマンとあるでしょう。(五万どころではないと思いますが…)
日本は、伝統的に木造建築物の文化です。その文化を継承しながら、火事にも(当然、地震にも)強い住宅になるように、法律も技術も進化しています。(中にはイワユル「愚法」もありますが…)が、進化しすぎたのか、法律をそのまま解釈すると日本の伝統とはほど遠い様相の住宅になってしまうことがほとんどです。囲炉裏のある茅葺屋根の家なんて、(諸事情により)もう無理、不可能なんですよ。
その火事の現場で、偶然、友人の消防士を見つけました。消防用ハシゴのてっぺんの、今まさに家屋内に突入しようとしている一番先頭の男です。先日の「土間のある家」のオーナーさんではなく別の消防士ですが、彼もまたハーレーの馬主さんであります。ちなみに彼は2頭(2台)も飼って(駆って)います。
この画像からは解かりませんが、家屋内ではまだ火がくすぶっています。破風やら開口部から、時折火が見えています。屋根も焼け落ち、設計士の僕から見ていつ瓦解してもおかしくない状況です。違う角度から見るとその状況は解かると思いますが、非常に危険な状況です。彼はそこに突入しようとしているのです。
彼には長年待ち望んだ第一子が、今年の9月1日に誕生しています。息子の誕生日が「防災の日」というのが実に彼らしいのですが、使命感に燃えた彼にはそのことも頭の中にはないのでしょう。他の隊員に叱られながら、それでも前へと進もうとしています。
建物は全焼してしまいましたが、不幸中の幸いで住人の方にも、消防士にも、近隣にも大きな負傷者はなく、騒然とした中で消火活動が続けられました。
火事は起こしてはいけません。
しかし、そこの住人の方も故意ではないはず。事故なのです。
失火、延焼。消火をあきらめ避難する住人、助け出す近所の方々、そして使命感だけで危険と立ち向かう消防士、友人・知人であるなしに関わらず、全ての人に同様に守るべき家族があり、多くの人のつながりや助け合いで守られている現実。みんなが無事で、本当に良かったです。
最後まで現場に居ることはしませんでしたが、家屋内の住人の不在を確認した彼がでてきた時に僕を見つけ、まるで本屋かなんかで偶然会った時みたいな口調で、「おう、どした?」だって。無事だったから良かったものの…。
伝統文化(木造建築物)の継承と安全の共存、言うまでもなく「全ては安全側」ですが、このコトをもっと深く考え直すいい機会になりました。
そして、彼に一杯おごってやりたくなりました。
by architect_spiral
| 2004-11-29 12:36
| 雑談